おはようございます。今日も沢山あるブログの中から遊びにきてくださり、ありがとうございます!
さてさて、私が自分のセッションをスピリチュアルカウンセリングといわないのはなぜか、、について書いてみたいと思います。
”カウンセリング”という名の権力
私が心理学を学んでいたころ、カウンセリングはカウンセラーの意図や考えにクライアントを寄せることが正しいと発信している団体があり愕然としたものです。
しかも、この考えは日本ではスタンダードだと知り、落ち込んだ経験があります。
この考え、クライアントを全く無視し、カウンセラーていう地位をつかった単なるパワハラでしかないと、、、。
何様なんだ、と腹立ちも覚えました。
こういう学びをした人がカウンセラーになり、こういうやり方でカウンセリングをするから、カウンセリングという行いに上下ができ、そこにパワー=権力が産まれる。
これは医療業界も同じ。
ドクターと患者は対等なエネルギーのはずなのに、権力を行使したひどい関係が産まれてしまう。
患者側も自分の考えをいえない、いわない。
カウンセリングにも同じことが言えるなと感じています。治すとこがあるから、カウンセリングに通う。
そもそも、治すとこがあるのは、悪いこと、弱いこと、ダメなことなんだというエネルギーがこの世にあるから、カウンセリングに通う方々は自分をそのエネルギーでしばり、ずっとカウンセリング迷路に入ったまま。
これじゃあ、カウセラーの意味がないのに、、、
”スピリチュアルカウンセリングか醸し出す上下関係”
という訳で、私はこの世から私のような職業がなくなることを本気で望んでいるので、本当に本質的な関わりをしたいのです。スピリチュアルカウンセリングというと、なんとなく分かりやすいけど私の提供するものは一般のエネルギーとは違う。
私はクライアント様とお互いに豊かさや喜びのメロディーを奏でる時間にしたい。
スピリチュアルカウンセリングとネーミングしたら、カウンセリングに対しての大衆の想念がうごき、私と会ってくださる理由が【自分は未熟、自分はダメ】の自己否定はじまりになってしまうのを避けたいのです。
あえて”スピリチュアルカウンセラー”ではなく・・・
ダメな自分なんていない。自分の人生を前向きにとらえたいから、私のような存在にあってくれる。主役はクライアント様。クライアント様の内なる輝きと私の喜びが、心地の良い調べとなりお互いをつつむ。
そこを常に意図しているので、私はスピリチュアルカウンセリングとは言わないのです。
スピリチュアルカウンセリングという方が分かりやすいけど、私は、クライアント様の内なる神聖さを讃えたい。
そこで、、あえてスピリチュアルカウンセリングといわずに”セッション”と言わせてもらっています。
いい朝だね。今日も笑おう!
TSUNAGIYA YUMIKO