自分に催眠かけてない?

ふと、おもったことがある。

私は解剖学やスピリチュアルなこと、トリートメント技術、アロマテラピー、出産など、興味のあることは色々学んできたなー。
でも、その学びが
人によっては、
自分を信じたり解放したりすることに対して壁となっていることもあるかも、、、
と。
なぜなら、
健康学の勉強は、仕組みをしら
病気にならないように、病気を回避することを学ぶし、
魂の学びの際には、
自分の魂はまだまだ学びが足りないとか、自分のトラウマを解消する為には、、、
などと
ほとんどは、〈大前提〉を自分の中にもっていて、この大前提こそが、自分はまだまだ未完成、未熟だと決めつけているために、いつまで学びつづけても
答えがみつけられないサイクルをつくっていて、このサイクルをつくっているのが、自分への大前提だとおもうから。
そしてこの大前提が、
自分で自分にかける催眠だと思った。
例えば、風邪。
風邪は悪いもの、風邪をひいたら熱を出す、熱を出すのは悪い、弱い(笑)!と、おもっていたら
病気になることにセンシティブになってしまうけど、いい・悪いではなく、ただ風邪だ、と捉えたら、そのときに起こる現象をただただやりすごし、それはいつもの日常と同じ感覚で過ぎていく。
魂についても、
魂の傷があって、そこから、家族や友人をはじめ、自分以外の人々の様々な想念が入りこみ、自分自身が混乱し自分の心を感じにくくなる。自分を感じ、自分の真ん中にいつでも戻れるようになるには、
傷を癒すことが大切。
確かにそうだと思う。
でも、そもそも、傷がある、この前提すらも、自分には当てはまらないとしたら、、、?
魂に傷がある、このことすら
自分以外の誰かからの話しであって、
自分から産まれた発想でなければ、
わざわざ、自分の魂に傷があるなんてことすら思うことも、自分に思いこませ、不必要な感覚を味わうことをしなくてよくならないかな、、、、。
様々な学びや情報があるけど、
これらと関わるときには、
自分に大前提をもたず、フラットでいるかが大切だなと感じた。
催眠を自分でかけて、
もともと完全な自分に疑いをもち、
未熟だと思い込み、不要な恐れを人生に招き入れないようにしたいな。
どうだろう?
自分になんの疑いももたないとしたら、、
毎日のお金の心配もない。
だって自分は大丈夫なんだから。
健康への不安もない。
だって自分は大丈夫なんだから。
偏差値社会への不安もない。
だって自分がいるべき場所を知っているから。
誰かからの不安になるような一言に動じない。
だって自分は大丈夫だから。
笑っちゃいませんか?
自分がなんて豊かで自由かと感じませんか?
豊かで自由な自分が何を選ぶのか、
自分の未来が楽しくて仕方なくなりませんか?
私は、笑いがとまりません!
ぜひ、一緒にこの笑っちゃう感じを
シェアしましょう!
答えはいつでも、自分の中にある。
催眠をかけるもやめるも
自分次第!
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