品よくいきること

今日も数あるブログの中から遊びにきてくださりありがとうございます

品よくいきる、エレガントに生きるって、SNSであがる綺麗な家、綺麗な洋服、流行りの場所で生きている人のことだと考えていらっしゃる方がいることが意外と多く、その考えがご自分をくるしめているんだなと感じています。私たちが生きているのは映像の世界ではなくリアルな現実。リアルって,食べて出す。これが基本の世界。この当たり前を飛び越えて、キラキラした世界に生きるってありえないなぁとおもっています。
だって人形じゃないんだから、、私たち。当たり前をしてのその延長線上が、自分が現実化したい世界でありそこが人様の目にみえる部分。
エレガントな生き方は現実を生きていないのとは違う。
当たり前なんですが、、、。この当たり前をすっとばして他者を羨む気持ちや自分を卑下する気持ちを産んでしまう方,けっらっしゃいます。
勘違いしてしまうのは、自分がこのリアルな日常で自分が生きるための行動が伴っていない時におきやすいなとも感じます。
目に見える世界だけを現実だと盲信してしまい、自分もそれを追う。
目に見えている世界を支えているものの存在に気づけていない。
大切なのは目に見えないことにある、と星の王子さまにも書いてありますが、、アカデミーでも見えない部分の在り方が大切というのは、霊的存在を信じるだけでなく、
自分を下支えしている自分に気づく大切さを伝えたいから。
それには、下支えする自分がいないといけない、、
要はきちんと生活しお金がないことが自分を苦しめているなら解消するための行動をしているかどうかや、散らかっている家がストレスならば片付けることをやるなど、
自分を自分が苦しめない生き方をしているか、ということに尽きるとおもいます。

ここをしっかりやらずに祈ることをしても意味があるないなぁと。

白鳥の水面下と水面の姿がまさに生き方をみせてくれているとおもいます。白鳥だけでなく、立ち泳ぎも。シンクロナイズドスイミングも。みんな同じ。見せている部分と見せない部分。
これが全てがごちゃごちゃしてしまうと、下品になりかねない。

エレガントにいきるは、見栄を張るではなく、自分の現実化したい生き方を粛々とやる。

これを言うのではないかなと思っています。目に見えない部分をしっかり生きるからこそ、お相手のその部分もわかる。自分をしっかり生きているからこそ、言葉にせずとも映えた写真にせずともお互いに分かりあえるセンス(思いやり)が養われるようにおもいますし、讃えあえるのだとおもいます。

そこが欠落していると、たたえあえずに妬ましい気持ちが生まれてしまうんだろうなと。

エレガントに爽やかに生きたい。
このように満点で生きていないときもあるけれど、
この気持ちを忘れずにいたら、ずれても戻れるように思います。

長い文章を読んでくださりありがとうございます!
TSUNAGIYA YUMIKO

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